学校で英語が苦手だった私は、その後何十年海外に住もうと間違えずに会話できるレベルには達しません。それでも長く外国に住めば、どんなに私がマイテンポでも少しずつ学ばされます。この”英語”カテゴリーでは、そうして何十回も聞くうちにやっと学んだ表現や、思いっ切り恥をかいて気づいた陥りやすい間違えなどについて書いてみます。あくまでほのかレベルの「生活英語学習記」なので、大ざっぱな訳も含めてご了承ください。
マザコン?! ママをほめちぎる彼
オーストラリアも含めて欧米社会で私が「いいなぁ」と思う習慣のひとつに、他人の前でも身内をほめられるいうのがあります。
「うちの奥さんはいつも家をきれいにしていてくれるんだ」
ちょっと控えめなおのろけ…?
でも結構普通にこういうほめ言葉を聞くんです。本人を前にして言っていたりするときは点数稼ぎかもしれませんが。妻の立場からするとそういう地味なところまでほめてもらえることもうらやましい。
ご近所のお母さんが「上の息子はよく家事を手伝ってくれるやさしい子なのよ」とか。そんな自慢してみたい!!
イケメンのサーファーボーイが「うちのママは最高だよ。」とか。
残念!キミもマザコン?!
いい歳をした男性が手放しにお母さんをほめるので唖然としますが、それが普通なんです。嫁としてそれを聞くのはちょっと複雑だけど、母としてなら全然悪くないですよね。
日本では家族も謙遜
日本だと、親しい友人同士の中なら息子や娘のいいところをそのまま話したり、あるいは「几帳面なのはいいところなんだけどときどき神経質になりすぎて」と比較や欠点の強調のために長所を出したりはしますが、通常はオチのつく話でない限り家族のことをほめちぎることはまずありませんね。
私の両親は古い常識の中で生きてきたひとたちなのでとにかく謙遜で、人前で自分はもとより家族のことを良く言うことはほとんどありませんでした。とくに悪いことをしたわけではないのに母が「うちのが失礼しまして…」とか「すみません、気が利かない子で…」などと私のことを他の人たちに言うのを聞くたびに、それが謙遜の一種だとわかってはいてもあいたたた…と胸が痛んだものです。たまには、近しい人たちの前でくらいほめてくれたっていいのに、といつも思っていました。
だから外国で知り合うようになった人たちが自分の家族を当たり前にほめるのは衝撃でした。
ポジティブな表現で家族を紹介
それでもよく聞いていると、良識ある人たちのそれはただの自慢とは少~しニュアンスが違います。「うちの母は手先を使う仕事が得意なの。」といった風にもうちょっと客観的に長所は長所としてほめるという感じです。
ポジティブな表現で家族を紹介しているとでもいいましょうか。
たとえば「長女はとてもクリエイティブで、あるとき料理ブログを作ったら、それがあまりによくできていたから会社でマーケティング・マネージャーに抜擢されてしまったのよ」とか、「下の息子はとにかく話が上手で知らない人に話しかけるのになんのてらいもないの。だから今の営業職は天職ね」などなど。
でもその後に「忙しすぎて家は洗濯物を持ち帰って食事をするだけのところになってきてるけど。」などとオチがついたりもしますが。
He is lucky
そこに、居合わせたもう一人、娘が同じグループ会社に勤める女性がすかさず「息子さんマネージャーに昇進したんですって?」と言ったのです。「すごいわよね。若いのに大抜擢ね」。
すると、そのお母さんは”He is lucky”と言ったのです。「彼は幸運なの。会社はタヒチなどフランス語圏の顧客をを広げたかったからフランス語を話す息子が選ばれたみたいなの」と。
この“He is lucky”はある意味謙遜だと思うのです。「彼は朝早くから遅くまでそれはよく働いて努力したもの。」だから当然と自慢するのではなく、運が良かったからだというのです。
なるほど。このフレーズは使える!と思いました。 いただきです(笑)。
こんなときにも聞きました。「この辺りで貸物件を探してるんだけど空きがなくてね。お宅はいい所に借りられたね」と言われたのに対して、”We are (were) lucky” 。「まだたくさん空き物件があった何年も前に借りたから私たちはラッキーだ(った)わ」と。
また最近家を購入しようと物件探しを始めたご近所さんが「家の値段が上がっちゃって。5年前にお宅がこの家を買った値段ではもう一軒家なんて買えないんだ。その額なら楽に出せるのに。」ちょっと悔しそうに言ったときも、”We are lucky. この辺りの物件価格が上がる前に買えたから。」と会話を丸く収められます。
こんな使い方もあります。大分前のことになりますが、ニコール・キッドマンがお産の話をしたときに、”I’m so lucky I’m so tall so I carried small”- 私はすごくラッキーで背がとても高いので身ごもったお腹も小さくて済んだ – やはりこの表現を使ってました。いつも背の高いことを嫌がっていた彼女が、”幸い”お産が軽く順調だったことを語るのに背の高いことをポジティブに表現していたので印象に残っています。
自慢の ”I’m lucky”
“I’m lucky”は自慢とかほめ言葉にも使われます。若くてきれいな同僚のギャル子ちゃんに ”I’m so lucky to have such a generous boyfriend” – こんなに気前のいい彼がいる私はとってもラッキーだわ、って聞かされたり。いいわねー、プレゼントいっぱいくれるのね。
”I’m so lucky to have such a handy hubby (husband)!” – こんな重宝な夫がいて私はなんてラッキーなんでしょう! なんでも器用に日曜大工してしまう旦那さまは重宝と言われて嬉しいのかどうかわかりませんが…。
”(I’m) So lucky to have such an amazing husband.” – こんなに素晴らしい夫がいて本当に私はラッキーだわ、とか。自慢というよりこれは夫に向けて結婚記念日に送るカードに書いてありそうなフレーズですね。
地元自慢のLucky
基本的にオーストラリアの人たちは家族が大好き。家庭が世界の中心です。家族愛は地元愛に、地元愛は地域愛、そして愛国心へと発展します。基本、
おらが村が一番。
以前、職場で同僚だった女の子はまだ19歳で一度も外国旅行に行ったこともなければ国内だってろくに旅をしたことはないのに “I am so lucky – こんな世界一素敵な町に住めるなんて私は本当にラッキーだわ” と言い切っていました。
いや、それ他のところ見てから言おうよ。
てかそこしか知らなければそりゃ一番しかないよね…。
とか突っ込みたくなるのですが、要は彼女にとっての世界は自分の家族と友達とそのみんなが住む町で完結しているわけで、彼女の世界観と地元愛は横から誰が突っ込もうと全く揺るぐことはないのです。
ある意味とてもうらやましいです。他を知らなくても自分の知ってるものが世界一と言い切れるその潔さが。
あっちこっちふらふらと旅しすぎた私などは「ここはコレが最高だけど、アレにかんしてはあっちの方がもっといい」などと欲張りになって逆になかなか世界一を決められなくなっていたりするもので。
一緒に自慢の We are lucky
そのほか、こんな使われ方もあります。
雨上がりでぴかぴかの晴天の朝、ビーチに向かって犬の散歩をしていると通り沿いの家で鼻歌交じりに洗車していたおじさんが「おはよう! 素晴らしい朝だね。まさにパラダイスだ」大きな声で話しかけてきます。“Aren’t we so lucky to live here?” – こんな(素晴らしい)ところに住む僕らは本当にラッキーだよね? と。これは「おらが村が一番」感を共有しようとしている訳ですね。地元自慢に私もひっくるめてくれているわけです。”We absolutely are!” – まったくもって同感!
こうして私もだんだんと「おらが村が一番」な田舎暮らしにすっぽりはまりつつあるのです。
同じ英語から学ぶならこちらの方がもっと有用かもしれません。
(さんざん田舎英語バナシした後ですみません。。。)