こんにちは。ほのかです。
もんの散歩に出たある日の夕方、
見かけたことのない飼い主さんが向こうから歩いて来ました。
ボーダーコリーを連れています。
どんなお友だちにでもあいさつしたいもんは、すぐに寄って行きます。
犬同士があいさつしているとき、飼い主さんから言われました。
「君の犬は幸せな犬だなぁ。毎朝、毎夕散歩してもらえて。」
私、この人に会ったことないんだけど…?
なんで知ってるの?!
「僕はあっちの通りに住んでいるんだけど、いつも君が通るから…。」
見られてたわけですね、家の中から。
実はこういう経験は初めてじゃありません。
親し気にあいさつされて、こちらも返しながらも
「はて? どこで会ったっけ、このひと」という人は結構います。
もんのお兄ちゃんのれんがまだ家に来て半年ぐらいだった頃。
ご近所で会ったおばさんが言いました。
「あらーっ。ついこの間までちっちゃな仔犬だったのに。
あっという間にこんなに大きくなっちゃって。」
このおばさんにも、れんと散歩してて会った記憶はありませんでした。
やっぱりお家の中から毎日見守っててくれたのでしょうか。。。
先日、ある事件の犯人を目撃した話をしましたが、
そのときもどれだけの人が私を見ていたか知って驚きました。
あなたあのときここを通ったから何か知ってるんじゃないかと思って。
数人からそんな訊き方をされました。
私の記憶する限り、そのあたりでは誰ともすれ違わなかったのに。
見られてるんですね。
悪いことはできません。
悪いことしてなくても、
「ちょっとそこまでだからこんな格好でいいか。どうせ誰も見てないし。」
というのは通じないんですね、きっと。
どうでもいい格好もしっかり見られているんだろうなぁ…。
私が朝から散水ノズルの吹っ飛んだホースで
全身ずぶ濡れになっているのも、きっと誰かに見られているに違いありません。
散歩に連れて行こうとすると、もんがときどき座り込んで
“そっちには行かない。行きたくない。”と駄々をこねることがあります。
大きな音がする乗り物が来るから。子供たちがスケボーに乗ってるから。
見慣れない大きな箱があるから。
理由はいろいろのようですが、行きたくない方角があると
そちらに背を向けて座り込みます。
これを諭して、Uターンして、連れて行こうとしてはまた座られて、というのを繰り返していたことが何回かありました。
その後お向かいさんと話したときにそのことを
「おっかしくって、見てて笑っちゃったわ~」と言われて。
やっぱり目撃者はいるもんだなーと笑ってしまいました。
これぐらいあっけらかんと見てたことをみんなに言われることを考えると、
見られていることは「目を配られていること」で悪いことじゃないのかもと思えてきます。
政府が地域コミュニティと進める防犯・安全対策Neibourhood Watch (近隣監視)
プログラムなども、むしろ隣近所をよく見ることを推奨しているわけです。
実際、そうやってお互いを見ることによって、お互いの無事を確認してもいるのです。
ずいぶん前のことですが、ハビさんが屋根に上っていて、降り際にはしごが滑って落ちて、ハビさん自身も高いところから落ちてしまったことがありました。
そのとき、見ていたはす向かいのおばさんは、
ハビさんが痛みからなんと立ち上がるまでずっと見守っていてくれたようです。
振り返ると、通りの向こうからおばさんが
「大丈夫??」と顔でたずねてくれてたとハビさんは言っていました。
倒れて動かなかったらおばさんは来てくれるか、
助けを呼ぼうとしてくれていたに違いありません。
Being watched is being looked after –
見られているということは気にかけられているということ。
ある意味、そんなところなのかもしれません。
見られることにも慣れつつある、というか、
いつもミラレテイルものだと思って歩く今日この頃です。
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上でも触れた”ある事件の目撃者になった話”です。